自宅を出る直前、何気にカレンダーに目をやったら貼り付けられていた一枚のチラシ。
それは二人の障害児がホームステイをする姿を記録したドキュメント映画の案内でした。
どうやら近くの公民館で無料上映会をやるらしいです。
障害。
自分には関心があります。
実は学生時代、障害を持つ方々(誰だって持っているものだからこんな言葉を使うことには疑問を持っているのですが…私には手の障害がありますしね)の雇用促進を将来の仕事にしようと本気で考えていた時期がありました。
同じ人間なのにどうして雇用の格差があるのか非常に納得がいってなかったのです。だから「社会福祉事業法制」なんて授業も受け、その手の本も読んでおりました。
しかし結局、紆余曲折がありその夢はあきらめました。
そして今、自分がその仕事につかなくて良かったと思っています。
なぜなら精神的にそうとう強靭でなければ続けていくことは難しいでしょう。
キレイ事だけでは済まされる世界ではないですから…
そして、何よりも自分の中で今でも葛藤していることは、
自分は弱者と一緒にいること、助けることで実は優越感に浸ろうとしているのでは?
と思うことです。
単に困っている人がいたら助けることは良いことでは?、という考え方もありますが、こんな風に悩むだけでも障害の世界に携わる資格はないと思っています。
だから…
だから、遠くから見守ることだけに留めてます。
↑
結局意気地がないのですな
ちょっとヘビーな話題でしたね。
失礼しました。
本日はここまで
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この記事に対するコメント
偽善者と傍観者はどちらが優れているだろうか?
偽善者が寄付する10000円とそれを新聞で読む傍観者。
例えば偽善が相手の気分を害してしまったら?
そして傍観は何も与えず、何も生まないか?
相手に何かを与えることは難しいですね。
1つの芸術的行為だと、僕はいつも思うのです。
K.C.さんへ
コメントありがとうございます。
何か、文章の歯切れのよさが心地いいです。
以前テレビ番組で
世の中に正義というものはあるのか?
というテーマで討論する放送がありました。
お互いの立場、それぞれの事情があり正義というものは実在しないという結論で番組が終わろうとしていた時、やなせたかしさんがおっしゃった言葉は今でも忘れられません。
「飢え死にしそうな子供に食べ物をあげることは悪なのですか?それは紛れもない正義ではないのですか?」
もしかしたらそのことで生きながらえた子供は将来テログループを組織し、多くの人を虐殺することもあるかもしれませんが、でもやはり目の前で死にかけている子供を救うことは間違ってないと思います。
おごった気持ちを持たず、真摯な姿勢で人助けが出来たらそれは素敵なことなのでしょう。
私もそんな気持ちを持ちたいです。
そっかぁーー
うち、普通ですよぉーーー(笑)むずかしいこと抜き。
言い合いとかもするし。
普通にします。なんでも。逆に普通にしてくれって言われるし・・・^^
一番いやなのは、障害者だからといって
弱者、壊れ物みたいにあつかわれることが嫌なんだそうです。
でも家族にそういうひとがいないと気持ちとしては
むずかしいですよネ
あと、普通と普通じゃないというふうに分けて考える考え方が耐えられないって言います。
言わなくても、目線でわかるそうです。
わたしも母のうまくやれないところだけ助けるけど(歩行障害と記憶障害)
あとはいたって普通。
めんどくさいときは、えーーあとで。とかいって
助けません。わたしにも都合があるのよ的な感じです。
その一瞬を見ただけのひとだと、「お母さん障害者なのに、可哀想」
などと言うけど、ずーーっと長い時間を見てないから、そういう感想が出るだけで(笑)
それに、わたしもうまくやれないところを助けてもらうし、持ちつもたれつです。
からだにハンデがあるひとって、精神的にとても強いところがあるんです
弱者っていうよりも、見た目に左右されずに本気で向かいあうことが、
そして、本音でつきあうことが優しさになるって
いつも思います♪
いわゆる一般的に5体満足と言われる人間の形が常識だ、という考え方を改めれば
人々が悩まなくても済むとおもいます♪
広いウチューの中にはいろいろなタイプがあっていいとおもうんですよね^^
ながくてゴメンネ
No title
ナオミン丸さんへ
丁寧なコメントありがとうございます。
まさにそういうことなんでしょうね。
何度かお会いする機会がありましたが、まったくそんなことは感じることはなかったでした。
家族を含めた周りの人たちが普通に付き合っていれば普通なことなのかもしれませんね。
しかし、企業が、マスコミが、そして社会が何か偽善的に素晴らしいことだと言っているような気もします。
自分の社会の一部であるのなら自分くらいは普通に、真剣に、付き合っていけば良いのでしょうね。
誰だって「個性」という特異なものを持っているのだから…
お心使いには感謝いたしますm(_ _)m。
ぎょぎょ
ウぎゃ、あらためて見てみたら・・・長くてごめんネーーーー^^;
つい・・・
お許しをーーーーー〓■● バタッ
おでみつさんが、そのようなことで悩まれていたと知り・・・ついコメコメしてしまいました
ア、思い出してまた来たんだった。(笑)
小学校のとき近所に仲良しさんがいました。すごく可愛い女の子でたぶんひとつくらい年下だったんですが、耳が聞こえなくて、口もきけないのです。お互いの学校(その子は聾唖学校)が終わると外で一緒に遊んでました^^
でも子供だからなのか、言ってることはほとんどわかっちゃうんですよね
こまかい話はわたしが手話できないので、道路にチョークとかで書いたりしてコミュニケーションとってました。絵とかで(笑)
すごく楽しくていい思い出です。
偶然そういう子が近所にいたから、そしてさらにその子に仲良くしてもらって嬉しかったので、あまりそういう事に特別感がないのかもしれません。
偶然に感謝ですね^^
そういうわけで、アノ子どうしてるかなぁ・・・
元気かなぁ・・・って時々思い出します。。。♪
ア、また長いよね。
でも、思い出してうれしくなってしまったので
記念にコメコメしていきます。(笑)
返事は無用ですよー^^忙しいところごめんネ!
No title
ナオミン丸さんへ
度々のコメントありがとうございます。
ヒマですからお気になさらずに(笑)
そうですか。
そういった楽しい思い出として残っているから普通に接することができるのかもしれませんね。
自分には何だか未知の世界のようにとらえているかもしれません。
そうですね。
普通に。
意識せずに普通に接すること。
それが一番大切なんですね。
色々と貴重なお話ありがとうございましたm(_ _)m。